傷つけてしまい
- 8月16日
- 読了時間: 3分
更新日:6 日前
【12歳のときの話 】
きしねんりょ
希死念慮とは
もう消えてしまいたい
そんな気持ちのこと
とても書きづらいことだが
10代のころ
わたしは体に傷をつけた

今思えば
さまざまな
生きづらさや
眠りにくさ
寝不足による
心身の落ちこみ
感覚過敏による消耗や
周囲からの叱咤
または偏見による
慢性的な
自分への絶望
トラウマ体験
それらを感じながら
生きていた
9歳から14歳のころ
わたしは
希死念慮にとらわれていた
傷が担任に見つかってしまったとき
先生は言った
「これはあとがのこっちゃうなぁ…」

理解してくれる大人が
まわりに見当たらなくて
頼り方も知らずに
ずっと1人で抱えてきた葛藤は
10代のわたしには
言語化ができず
ただモヤモヤとした
不安のような
怒りのような
悲しみのような
よくわからない感覚で
説明しろと言われても
とうてい叶うものではなかった
30年たった今
構造を知り
ようやく理解にいたる
わたしは
体の傷を通して
じつは、心の傷を表現していた

大人になった
今の自分にしてみれば
あの頃の自分には
心の癒し
体の休息
医学的アプローチや
福祉的アプローチ
そして自己理解
いろいろなことが
多く必要だった
大人の矛盾した行動や
社会のおかしな仕組みを
小さな体で受け止めていた
しかし押さえ込んでいた気持ちが
行き場を失って
どうにも感情があふれて
体の傷となって表現された
あのころは今ほど情報にも
たどり着けなかったから
担任から問題児という
色メガネで見られながら
自分でも自分を
色メガネで見続けていた
10代のわたしは
どこからの介入もなく
誰からの理解も得られず
からだの傷を
知っているはずの
両親さえも
わたしをどう扱って良いか
わからずに
はれものとして
ただただ、存在していた

いま
生きていて良かったと
思うのは
のこっちゃった傷
これを抱えて
想いを伝えられる自分である
その状態だということ
もしも
同じ特性を抱え
きしねんりょ
希死念慮
それに
さいなまれている存在が
いるなら
届けたい
存在には価値がある
ということを
あなたは間違いなく尊い
そして問題があるのは
あなた自身では無い、とうこと
社会に課題があるから
存在としてきちんと
価値が役割を果たしている
そのままで価値がある
葛藤の中に
自分をうずめなくても
絶望にみえる
暗闇のなかで
消えたいと思っていても
じつは既にあなたの中に
光は存在する
特性は才能のかけらだから

死を選びたいときは
強く "生" を意識する証
消えたいと叫びながら
見つけて欲しいと願っている心を
自分で認めるだけ
そういう状態だと
自分を理解してやればいい
そして
どうか生きて
あなたには
価値が宿っている
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現在、多くの情報が
共有されることによって
理解が広まりつつある
「発達特性」「発達障害」。
女子の割合が少ない
そう言われていたのは過去のことです。
現在では、女子の発達障害児も
男子同様多くいるのではないかという話がある。
内実は、女子は隠せるから
発見が遅れてしまう。
または、本人が生きづらさや
困り感に気づけないことで
特性に気が付かれないまま
社会の枠組みからこぼれ落ちて
大人になっていく。
結果的に今、大人の女性に
発達障害の発見が増えているというのです。
自分が困っていることに気づけない子に
どんなアプローチが叶うのでしょうか。
福祉も、
医学も、
教育も、
社会の理解が進み
課題が解消されて
自分を責めるこども達が
減っていくことを
わたしは切に願っています。


