躁鬱の間で
- 7月26日
- 読了時間: 3分
更新日:6 日前
【 人間を知ること 】
なぜ自分たちは
苦しかったり
悲しかったり
嬉しかったり
楽しかったり
有頂天になったり
どん底へ落ちたり
するのか?
人はどこへ
向かって
生きているのか
人生とは
何なのか?
そんな事を
語り合ったり
伝えあったり
できれば
人が、光を
失わないために

人は
身体を
持つかぎり
自然と同様に
バイオリズムが
存在する
元気なとき
病気のとき
それぞれある
ハイになったり
ローになったり
関心が外に行ったり
自己を深く内省したり
ひどく落ち込み
動けなくなったり
ひるがえって
とても元気で
活発になったりする

なぜ苦しいのかと
問うてばかりでは
落ち込みは
ひどく増すばかりだ
喜怒哀楽すべて
堪能するのが人生だと
ある意味
諦めのような
観念のような
達観のような
そんな語らいを
青年期までに
しておかなければ
いとも簡単に
社会へ出た時に
挫折を果たしてしまう
挫折や苦しみを
強く感じると人は
死を意識する
事故や事件で
トラウマを抱えた時にも
死へ意識が向いてしまう
まるでその苦しみから
逃れられると信じて

死を選んでも
苦しみは消えない
なぜ苦しみは存在するのか?
そこへ意識を向ける必要がある
概念が前提が
人を苦しめることを
人は知っておくといい
心で理解して
頭で感じる
心と頭の役割を交代させること
ひどく感情に
支配されている間は
休み、癒し、休む
休み、癒し、休む
多くの時間が
とても必要で
扁桃体が反応を弱めたとき
意識が喜びを感じはじめたとき
はじめて心が理解を示す
冷静に俯瞰し
構造を理解する
人間を理解しなければ
急なトラウマを体験しながら
同時にそれを理解することは
人の脳には難題すぎる

世の中には
自分と同じような
仲間が多くいる
まるで同胞
それは形を変えた
自分のように
自分が
どん底に落ちた時
同胞の存在が
自分の励ましに
なるのだという事を
人は知っておく必要がある
心がへし折れた時に
元いたところまで
自分が戻ってこられなく
ならぬよう
人はひとりでは
生きていない事を
知っていい
私たちは
あまりにも大事な
多くを教わっては来ない
情報ばかりが
こんなに溢れているのに
自分が尊い事を
人間が尊い事を
こども達は知らない
自分がどんな存在か
理解できずにあがいている
あなたは尊い、と
教えれられる大人も
とても少ない

躁と鬱の間には
縦軸にも横軸にも
奥行きのある"揺れ"が存在する
心の揺れ
脳の揺れ
身体の揺れ
意識の揺れ
感情の揺れ
さまざまな
"揺れ"が
存在する
人が人間を
どんなものか知らずに
その揺れを
上と下だけに分けていたら
二極化は起きてしまう
天と地のみ
そんな世界になってしまう
二極ではない
上下ではない
この世は
奥行きある
スペクトラム
そういう状態
こども達は
人間を学ぶといい
意識を広げ
対局も含め
360度の宇宙視点で
物事をみてみよう
上下だけの
小さな視点で
こどもが
自分を強く
責めることが起きぬよう
間違った選択を
信じてしまわぬよう
人が人を
尊重できるよう
多くの複雑な揺れを
経験するのが人生なんだと
これが人間だと
自分の人生をもって
伝えていこうと
わたしは思う
こども達が
死を選択することを
これ以上とても見たくない


