健常者のラベル
- 3月7日
- 読了時間: 2分
更新日:4月6日
【 想い 】
だれが言い出したのか
どこで境界をひいたのか
健常の定義を
どうやって
正しく言えるのか
スペクトラムの
境目は
どこにあるのか
法定雇用率は
光を各所へ
配置させる仕組み
わたしはそう捉える

同じやりとり
わらい声
人は和み
笑みが生まれる
光が満ちる
笑顔が増える
とても尊いことを
特性をもつ彼らは
してるのかもしれない
彼らを
光の存在
そんなふうに
わたしは
捉えてみる
健常者と
そうでない
線引きは
どこに
あるのかな

かつて彼らに
注意したことがある
わたしは
叩かれた
引っ掻かれた
つねられた
かじられた
注意してしまったから
否定する
つもりは
なかったんだ
支配する
そんなつもりもなかった
関わり方を
知らなかっただけ
とても素直に
感情を出す彼ら
今思うと
その表現が
彼らそのもの
心は
注意されることが
きらい
親だから
先生だから
上司だから
健常だから
支援者だから
人は立場と役割によって
自分を定義して
注意する生き物
ときに
叱責して
大声で
支配しようと
それは時に
感受性豊かな心を
追い込むほど

もしも
前提が
反対側を
持ち合わせたら
大人が
子どもから
教わる世の中
先生より
生徒たちが
教育を知る
上司より部下が
仕組みを
理解する
障害の特性が
皆に光を
運ぶ
障がいは
才能で
人を導く
わたし達は
健常という
枠の中で
安心を得る必要も
もう
ないのかもしれない
注意なく
共生できるだろうか
注意の役割を
ほかに担う
なにかあるのだろうか
そんなことを
思考する

